今日は快晴であった。
こういう日こそ「良し!ふとんを干すぞ!」なのであるが・・・
今日は一味違うのである。
日野熊蔵氏の本を読んで、代々木練兵場での「日本の航空史の始め」を
見に行ってみたくなったのである。
ということで珍しくおでかけ。
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日本航空発始之地記念碑
代々木八幡の駅から歩いて・・・交番で入口を聞いて、西口から坂を
登っていくと、この大きな碑があった。
西口から入ると「こんな起伏があるところで飛行機が飛べるの?」と
思ったが、上に登ると平らであった。
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静かに木陰に並ぶ日本航空草分けの人
そして、日本航空草分けの両名の胸像を見る。
徳川氏は飛行当時? 日野氏は昭和10年くらいの姿?のようである。
今は静かに「かつて自分が飛んだ代々木練兵場の空」を見つめている
ようであった。
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1910年にこの空を飛んだのか・・(遠い目)
胸像が見つめている方向を見てみると、「ああ、この木の遥か上を飛行機で
飛んでいたのか」としみじみとする。
ここで見物していた人も含めて「空への夢」を見ていたのだなぁ・・と遠い目。
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そして、新たに湧いて来る疑問
ところで、日野熊蔵氏の本を読んで、日野式自動拳銃を見ていて気が付いた。
日野式は1903年、南部自動拳銃は1902年と同時期に出てきた製品である。
この両拳銃には「グリップ前にセーフティがある」のである。
ちょっと拳銃に詳しい人は判ると思うが「グリップセーフティが前にある」
というのは、あまり良くないことである。
そのせいなのか?他の拳銃でこの方式を聞いたことがない。
となると、日野氏と南部氏との間でなにか情報交換があったのか?と
考えるのがどうなのだろうか?
南部麒二郎氏 佐賀県出身 1869年生まれ 陸士2期 砲科
日野熊蔵氏 熊本県人吉出身 1878年生まれ 陸士10期 兵科
と、まったく接点らしいところが見られない。
日野氏の性格(自身の独創性を重んじる)からすると、誰かの模倣を
するとは思えないのだが・・・
興味は尽きない。